Web3の時代に個人ブログをはじめる意味

Web3がバズワードになっている。

Web3について明確な定義は未だ確立されておらず、さまざまな論者がさまざまに語っているが、少なくとも「ブロックチェーン技術による分散型Webを志向している」という点は概ね共通している。

実際、Web2と見做されるさまざまなWebプラットフォーム(Twitter、Facebook、note…etc)については、その巨大化、中央集権化に対して批判の声を聞く。

筆者もこうしたプラットフォームの世話になっており、これらが無料で使えるのは素晴らしいことだと思う。また、プラットフォームで書くことによって多くの人に読んでいただき、さらに「いいね!」で承認欲求も満たされ、大変ありがたく思っている。ありがとうございます。

反面、こうしたプラットフォームでテキストを書くことは、プラットフォーム側の判断でいつでも削除・BANされる可能性があること、自分の記事をエクスポートできない仕様、独自ドメインが利用できない、サービスが終了したら消え去ってしまう……etcといった点から、「自分の書いたテキストを自分で所有する」という感覚になれないでいる。

そしてこれは現在のところはWeb3の代表例とされるようなサーヴィスでも同様の状況に見える。OperSeaなどもそうだが、結局のところ誰かの作ったプラットフォーム上で作品をやり取りすることになる。

筆者が求めているのは、収益化や多くの「いいね!」をもらうことではなく(それはどちらも確かに嬉しいことだが)、自分の書いたテキストを自分でコントロールする形でストックとして保有し続けられることだ。

そして、このWeb3全盛の時代にWeb1に該当するであろう個人ブログを設置することとした。

更新は不定期、筆者が140字に収まらない分量のテキストを書きたいと思った時に書かれる場所として使用する。
また、筆者の個体識別名称そのままの「todayuya」というドメインは無一文になってドメイン料が払えなくなるまでは生涯利用するつもりだ。

かつてはてなブログを書いていたとき、そのブログタイトルは「後世への最大遺物」としていた。
内村鑑三氏の同名講演録に感銘を受けたものだ。

私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。

内村鑑三「後世への最大遺物」(青空文庫)

血気盛んだった頃、後世に「勇ましい高尚なる生涯」を遺そうと思い、こうしたタイトルをつけていたのだが、自分がそれ程大そうなものではない、と思い至った今となってはやや気恥ずかしいものがある。

この度はじめるブログはそうした大仰なものではなく、あくまで筆者自身の個人的記録としてのブログである。もしかしたら誰かの参考になることもあるかもしれないが、それを主目的とはしない。

ただ、読者の声は執筆の張り合いが出るというもの。いつでも気軽に「読んだよ」とお声がけいただければ幸いに思う。