「シロ、これありがと」
「ん?ああ、観終わったのか」
そういって白鳥は、絵筆を動かす手を止めてディスクケースを受け取った。
「どうだった?」
「うーん、さすがに人間がたかだかひとりいるかいないかで世界がこんなに変わるとは思えないけど」
「けど?」
「人間は自分の身体と意識が自分の分一個しかないわけだから、確かにこんなふうに自分の人生を大袈裟に考えるのもそれはそれで合理的な気がする」
「そうか」
白鳥が笑う。
「で、進捗はどうなの?」
「そう慌てなさんな。僕と七未の子なんだぞ。うんと美人さんに描いてあげなきゃと思うと緊張するんだよ。あ、でもあんまり美人にして悪い男に言い寄られても困るな……」
「え、子どもってシロとナミちゃんの平均値なんじゃないの?そりゃナミちゃんは整っている顔なんだろうけど、シロの顔は別に映画で言ったらモブでしょ」
「お前、ジェームズ・スチュアートみたいな映画俳優を基準にしてくれるなよ……。いいんだよ、女の子なんだ、七未似の美人で何が悪い」
◆◆◆
ヒトの姿を得て間もない頃、私は白鳥が街に出るとき、いつもその横を付いてまわった。
「シロ、シロ、あれは何を売っているの?」
「あれ何?なんか店の前で肉切ってない?いやあ、人間って野蛮だね。で、どんな味なの?ちょっと食べてみたいんだけど」
「ちょっとあの店見ていこうよ、服を変えてみたらどんな気分になるのか気になるし」
目に映るものすべてが興味深かった。人間というのは、こんなにもたくさんいて、しかもそれぞれがまったく別個の意識を持っているという。驚くべきことだ。
白鳥の家には、たくさんの絵画、書籍、映画、音楽があった。
これらもほとんど観て、聴いて、意味のわからないものについていちいち白鳥に解説を求めた。白鳥はそれを面倒くさがることもなく教師のように丁寧に教えてくれる。
ただ、私の投げかけたある質問だけはその顔を曇らせた。
「ねえ、人間というのはつがいになったら子どもをつくることが多いみたいだけど、シロとナミちゃんはつくらないの?」
はじめは曖昧に濁されていたけれど、何度か尋ねるうちに重い口を開いて、七未が子どもの頃の病の影響で妊娠することができない身体であることを話した。
それを聞いて私は無邪気に、気軽に提案したのだ。
「じゃあ、俺の肉を使って子どもを描いたらいいんじゃない?」
そうして白鳥は自分と七未の血液を少しづつと私の肉を混ぜた絵の具で「真音」を描いた。
◆◆◆
それから、白鳥と七未と真音の3人と私は暮らした。
不思議なことに、真音は普通の人間の子のようにすくすくと育った。
しばらくして、白鳥は真音にスケッチブックとクレヨンを買い与えた。
真音はとても喜び、父親の真似をして絵筆を握るようになった。
父親に優しく教えられ、少しずつ少しずつ真音は絵を描いている。
私自身も白鳥に教わって絵を描こうとしたことがある。白鳥の絵を模写したこともある。はじめから、素人目には見分けがつかない程度に描くことができた。
しかし、オリジナルの絵が描けない。どうにも筆が動かない。何を描けばいいのか、何を描きたいのかがわからない。
新しい何かを生み出すこと、創作することは、人間にしかできないのかもしれない。
そのことに気付いてしまった時、いつも何かを創り出している白鳥と、何も創り出すことのできない私を見比べて、なんだか自分がみすぼらしく、空虚で、白鳥と釣り合いの取れていない存在のように思えた。
そんな虚しさとの付き合い方を覚え始めた頃、白鳥と七未の血と、私の肉から生まれた真音が、絵を描きはじめた。
それはもちろん技巧的には拙い子どものそれだ。
しかし、その絵は誰のものでもなく、真音が自らの意思で描きたい絵なのだ。
クレヨンを動かす小さな手を見ながら、私はなんだか誇らしい気持ちになった。
◆◆◆
「シロ、これありがと」
「ん?ああ、観終わったのか」
そういって白鳥は、絵筆を動かす手を止めてディスクケースを受け取った。
「ああ、ってあれ?お前、これ前に観たことあるやつじゃないか」
「いい映画は何度観たっていいものさ」
「それはそうだけど……お前は人間とちがって一度観たものを忘れる、なんてことないだろう?」
「シロは仮にもアーティストのくせにつまらないことを言うねえ。映画ってのは観られて完成する芸術なんだぜ」
「まあ、それはそうだけど。何か心境の変化があったってことか?」
白鳥が笑う。
「そりゃそうさ。君たちと一緒に暮らしてたらいろんなおもしろことがあるからね」
それから、白鳥の隣でスケッチブックにクレヨンを走らせる真音の絵を覗き込む。
「まだみちゃだめ!とちゅうなんだから!」
「おっとごめんごめん。でも完成したらきっと見せてね」
満面の笑みで真音がうなずく。
隠しきれていないスケッチブックには帽子をかぶった怪盗のような姿が見える。どうやら彼女が考え出したオリジナルのヒーローのようだ。
それを見てやはり私は誇らしい気持ちになって、白鳥に向かって言う。
「うん、まさに素晴らしき哉、人生!だね」