メタバースとはなにか~2022年6月21日現在の覚書

メタバースとは一体なんなのか、ということについてここ2週間ほど考えている。

というのもランサーズが主宰する「新しい働き方LAB研究員第2期生」のメタバース・AI分野に(いつものように)ノリで応募したところ、採択いただいてしまい(ありがとうございます)、今年中になんらかの実験に取り組むことになったからだ。

メタバース、というかヴァーチャル・リアリティについては、FacebookがMetaになる以前から関心があって、Oculus Goに貼るオリジナルステッカーの制作・販売事業をしていたこともあるし、自分自身インターネット空間では「銀礫ニナイ」というバーチャル美少女ついったらーとして活動してたりしている。
が、VR機器としてはOculus Quest2しか持っておらず、VRChatもデスクトップモードでしか入っていないこともあって、VRChatのワールドに入り浸る……といったことはしていないので、バーチャル美少女ねむさんのようないわゆる「原住民」ではないかなあ、というくらいの立ち位置だ。

今回の研究員としての指定テーマとしては「メタバースとAI領域で!未来を先取りした職種の創出は可能なのか」というものなのだが、イマイチまだピンと来ていない。
そこで「どうしたらおもしろい実験ができそうか」を急ぎ考えないといけないのだが、その手前の段階、「メタバースの本質部分はどこにあるんだろう?」というところでつまづいていた。

まずは原典にあたるべきか?と思い、「メタバース」の初出を辿ると、ニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』に行き着く。同書ではメタバース(同書訳では「メタヴァース」)とは、オンライン上につくられた仮想の3次元空間で、人々はゴーグルとイヤホンを装着して仮想世界に入ることができる、というもの、らしい。が、文庫本は持っているけれど積読の山に埋もれて未読なのでこれ以上言及できない。すみません、そのうち読みます。

そしてこれまで観たり読んだりしてきたフィクションを思い返すと、メタバースという呼称ではないけれど、概念としてほぼ同一のものとしては、ニューロマンサーの電脳空間、マトリックス、ソードアート・オンライン、サマーウォーズのOZ、レディ・プレイヤー1のOASISなんかがある。
そうだ、こうしたフィクションで描かれるメタバース空間で、どんな仕事が生まれているかを整理してみてはどうだろう?それによりメタバースの新たな職種がわかるかもしれない……というアイデアが一瞬頭をよぎったが……いや、ふつーだわ、ということで却下した。

また、最近刊行されたメタバース関連の書籍をいくつか読み漁ってみた。加藤直人『メタバース さよならアトムの時代』、佐藤航陽『世界2.0 メタバースの歩き方と創り方』、國光宏尚『メタバースとWeb3』などなど。

その中で、一番おもしろくて説得力があったのがバーチャル美少女ねむさんの書いた『メタバース進化論』だった。同書のメタバース7要件や、「○○はメタバースではない」といった整理も興味深かったのだが、個人的に最もおもしろかったのは「分人経済」についてだった。
かいつまんで説明すると、これまで経済社会を構成する最小単位だった「個人」(これより大きな単位として「世帯」だったり「企業」だったりがある)、その個人がさらに分かれて、1人の人物が複数のアイデンティティを自由にデザインし、そのアイデンティティ「分人」が社会経済の最小単位になる、というもの。

つまり、筆者自身で言えば、「戸田佑也」という個人をベースとして、アイデンティティが「とださん」「ニナイちゃん」に分かれ、「とださん」はコンサルティングやWEB制作などをしながら稼ぎ、「ニナイちゃん」はTwitterをしてファンからお布施をもらって稼ぐ(フィクションです)、といったことだ。

「それって要はただの複業では?」という指摘もありそうな気もするが、インターネット空間の発達に伴い、肉体的な活動とそれを離れたデジタル的な活動が可能になったこと、明示的にアイデンティティを分けた活動ができるようになったことが大きな変化としてあり、こうして複数のアイデンティティを使い分けられるようになるのがメタバースの本質部分なのでは?と、今のところ考えている。

さて、そんなことを考えていたときにメタバースとはまったく関係のない文脈で読んだ本の中で「あ、これがメタバースの本質だな」という記述があった。その本とはJono Bacon著、高須正和翻訳、山形浩生監訳『遠くへ行きたければ、みんなで行け(原題:People Powered )』である。

同書で紹介される事例の一つに、OS開発コミュニティに参加するアバヨミというアフリカの農村に住む少年登場する。
彼の家にはコンピュータがなく、一日ずっと村で雑用をしてお金を稼ぎ、その後2時間歩いて最寄りのインターネットカフェに行き、1時間に満たないわずかな時間インターネットに接続してOS開発コミュニティでユーザからの質問に答えたり、ドキュメントやヘルプガイドを書いていたと言う。
その時、彼は肉体的にはアフリカの農村に暮らすただの少年だが、デジタル的には、もっと広い大義のために、世界的なプレイヤーとしてコミュニティに参加していたのだ。

筆者はこうした、個人が物理現実における「自分」をはるかに超える大きなインパクトをインターネット空間上の「自分」が生み出せることにメタバースの可能性を感じているんだろうな、ということを改めて感じている。

とりとめのない文章になってしまったが、物理空間の生活が充実している人もそうでない人も、新しい自分をデザインできる可能性を拡大する、という方向へメタバースを進めていくための実験を計画していきたい。

……とかなんとか言ったくせに、もっとマネタイズとかビジネスモデルを検証するみたいな計画にする可能性もゼロではないので、もしそうなっても石を投げないでほしい。